宮崎西ロータリークラブ

WCS/バングラ関係宮崎日日新聞記事

母国に待望の病院---宮医大留学のカーンさん(1998.6.29)

待望の診療所できました---宮医大元留学生カーンさん(1999.1.26)

診療所は「日本との懸け橋」/支援の県民共に喜ぶ(1999.2.2)

医と心の懸け橋/バングラデシュの診療所<上>(1999.2.5)

医と心の懸け橋/バングラデシュの診療所<中>(1999.2.6)

医と心の懸け橋/バングラデシュの診療所<下>(1999.2.9)(1999.2.6)

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宮崎日日新聞(1998.6.29)
県民も1200万円支援/11月には3科開設
バングラデシュ/母国に待望の病院---宮医大留学のカーンさん

 宮崎医科大での留学を終え、母国バングラデシュで一月から医療活動に取り組んでいる医師・カーン・アズハルル・イスラムさん(41)の医療施設建設が県民の支援で始まった。11月には内科、小児科、産婦人科を開設。早死が目立つ無医村地だけに地元住民は完成を心待ちにしている。カーンさんは病院建設着工の報告などで来県しており、26日には最大の支援団体である宮崎市の宮崎西RC(前田暢俊会長、83人)が開いた建設資金の贈呈式に出席した。

 カーンさんはバングラデシュのダッカ医科大学を卒業。1989年に文部省留学生で宮崎医科大に留学。高血圧病などの研究を続けてきた。現在、ダッカの病院の内科医。
 8年間の留学では妻のロニーさん(38)との間に二人の男子も誕生。長男の関係では学園木花台小PTA会長を務めるなど地元の住民らとも交流を深めた。留学中に心を痛めていたのは、世界の最貧国の母国のこと。無医村が多く、公衆衛生上の問題から寄生虫、下痢、高血圧病で早死が目立ち、平均寿命は57歳。「病院が少しでも増えれば多くの命が助かる」。豊かな日本での生活を見ながら考えていたときに、支援の手を投げたのが同RCの会員で、元県医師会会長の竹内三郎さんや清武町のJA職員の川越義正さんら。
 同RCは竹内さんの呼びかけで「バングラデシュ病院建設特別委員会」、川越さんらは地元民らで「バングラデシュに診療所を創(つく)る会」を結成。チャリティーコンサートなどで資金づくりに取り組んだ。この結果、同RCの約六百万円のほか、同RCの米国本部、延岡中央RC、宮崎市、清武町など県内の多くの人から総額約千二百万円が寄せられた。

 病院建設地はダッカから西に55km離れたピロジャリ。人口2万5千人で医療施設がない所。今月、初めて電気が通じたばかりの街。カーンさんの所有地があり、同RCらの代表も現地調査して建設地に決めた。

 5月から基礎工事が始まり、約200平方メートルの平屋の医療施設が完成の予定。来日中のカーンさんは「皆さんのおかげで病院の建設が始まり大変感謝しています。留学で学んだ日本の医療技術を生かし、バングラデシュの人が健康で長生きできるように頑張りたい」と話している。

 同RCは、今回の建設では資金面からレントゲンの設置ができないため、さらに県民からの支援を呼び掛けている。問い合わせは同RC事務局・0985(22)6767へ。

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宮崎日日新聞(1999.1.26)
県民支援、29日開所式
バングラデシュ/待望の診療所できました---宮医大元留学生カーンさん

 宮崎医科大の元留学生で昨年一月、母国バングラデシュに帰国した医師、カーン・アズハルル・イスラムさん(42)の診療所が県民の支援を受け昨年末、完成した。オープニングセレモニーが29日、現地のピロジャリ村で開かれるのに合わせ、宮崎西、延岡中央ロータリークラブ(RC)など県内支援者ら25人が27日に本県を出発する。現地ではセレモニーのほかダッカ・ミッドタウンRCとの交流会も予定されている。
 カーンさんはバングラデシュのダッカ医科大学を卒業後、イランでの医療活動に従事。1989年、文部省の留学生として来県、宮崎医科大で8年間、高血圧などの研究に携わった。
 その間、住んでいた清武町や宮崎市の住民とも交流。無医村が多く伝染病や栄養失調による早死が目立つなど、母国の医療事情についても県民に話してきた。
 帰国を前に「母国に病院を造りたい」というカーンさんの思いに清武町の友人や宮崎西RCが賛同。チャリティーコンサートなどを開いて資金を集めた。さらにこれらの計画を知った県民からも多くの寄付が寄せられ、総額約千二百万円が集まった。
 ピロジャリ村は、首都ダッカから西に55キロの場所にあり、人口約2万5千人の無医村。診療所はカーンさんが同村に所有していた土地に昨年5月、建設が始まった。
 途中、夏の大洪水で工事が中断されたため、当初の予定より遅れ昨年末、平屋建て約二百平方メートルの施設が完成した。カーンさんは現在、ダッカの病院の内科医として勤務。診療所はカーンさんとその医者仲間がボランティアで運営していく。

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宮崎日日新聞(1999.2.2)
バングラデシュ、診療所は「日本との懸け橋」/支援の県民共に喜ぶ---村民ら出迎え完成式

宮崎医科大の元留学生で昨年1月、バングラデシュに帰国した医師、カーン・アズハルル・イスラムさん(42)の待望の診療所が県民の支援で完成、1月29日に現地のピロジャリ村でオープニングセレモニーが開かれた。本県からは建設を支援した宮崎西、延岡中央ロータリークラブ(RC)会員ら27人が参加した。
 開所式にはバングラデシュの厚生大臣、資金援助したダッカミッドタウンRC代表ら約2千人が出席。地元のテレビ局や新聞社も取材に訪れ「日本とバングラデシュの懸け橋」となる診療所完成を祝った。
 一行は宿泊先のダッカからバスで約1時間半かけて村に到着。診療所前には村民手作りの色鮮やかなゲートや舞台が設けられ、ピロジャリ高校の生徒や村民らが出迎えた。
セレモニーではカーンさんが「この診療所は私だけでなくバングラデシュの人々みんなのものです。支援してくださった皆さん、本当にありがとうございましす」とあいさつ。
 これに対し本県一行の名誉団長で元県医師会会長の竹内三郎さん(77)=宮崎市=が「カーン君が帰国時に医療の現状を訴えたのがきっかけで支援することになった。恵まれない人を助けるためにぜひこの施設を役立ててください」と英語を交えて語った。セレモニーの最後に一行全員が壇上に招かれ、一人一人に花が手渡された。
 式後は、完成した診療所内をカーンさんが案内。早速、竹内さんやカーンさんら医療スタッフが患者の診察に当たった。診療所は約200平方メートルの平屋建て。中庭を囲んで診療室、トイレなど9部屋がある。ベッド6床が並べられているが医療機器や薬品はまだ届いてなく、本格的な診療を開始できるのは今月下旬になる予定。

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宮崎日日新聞(1999.2.5)
夢への第一歩/県民の支援で完成
医と心の懸け橋/バングラデシュの診療所<上>

 宮崎医科大の元留学生で昨年1月にバングラデシュに帰国した医師、カーン・アズハルル・イスラムさん(42)の診療所が県民の支援で昨年末、完成した。1月29日には現地ピロジャリ村でオープニングセレモニーが開かれ、本県からも支援者らが出席した。セレモニー当日の様子や診療所を完成に導いた県民とカーンさんの交流、現地の医療事情などをリポートする。(報道部・高森千絵)

 「病気で苦しんでいる人に少しでも医療を受けさせてあげたい」カーンさんの夢がこの日、現実に一歩近づいた。首都ダッカから西に55km離れた人口約2万5千人のピロジャリ村。ここに本県の宮崎西、延岡中央ロータリークラブ(RC)、清武町のボランティアグループらの支援で待望の診療所が完成した。
 現地で開かれたオープニングセレモニーは、本県とバングラデシュの交流にとって新たな一歩となるような盛大な式典になった。会場近くの道沿いには村の子供たちが作った日本とバングラデシュの小さな旗が揺れ、会場には色鮮やかなゲートや舞台が設けられた。
 本県からの参加者は支援者ら27人。現地からは建設を支援したダッカミッドタウンRCをはじめ、厚生大臣、ピロジャリ村の村長ら2千人が出席。どこからともなく集まった村民も加わり会場は祭のような熱気に包まれた。
 「私たちの力だけではできなかった」「診療所ができて本当にうれしい」「バングラデシュ国民みんなが感謝している」・・・。
 地元関係者は支援へのお礼の言葉を繰り返した。
 無医村の住民にとって診療所の完成は、心待ちにしていた一大イベント。「村の人たちは毎日、神に感謝して祈りをささげている。」カーンさんは完成を喜ぶ村人の気持ちをこのように代弁した。そして「宮崎の皆さんへのお礼の気持ちでいっぱい。この診療所はバングラデシュ国民みんなのもの」と感激を日本語で表現してくれた。そんな気持ちを表わすように診療所入り口には支援者名を刻んだプレートが掲げられていた。
 県民とバングラデシュの人々の思いをつないだ診療所。その名称は「宮崎西 延岡中央 ダッカミッドタウンRC友好の診療所」となった。

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宮崎日日新聞(1999.2.6)
県民との交流/宮崎は第二の古里
医と心の懸け橋/バングラデシュの診療所<中>

 バングラデシュに帰国したカーン・アズハルル・イスラムさん(42)をよく知る人に、清武町国際交流協会の副会長で農業を営む川越義正さん(48)がいる。二人は約十年前に出会った。「何にでも好奇心を持ち、日本で何かを学び取って帰ろうという前向きな姿勢を持っていた」
 カーンさんは母国の写真を見せ、厳しい現状を何度も川越さんに訴えた。栄養失調、伝染病で死んでいく子供たち。治療をう受けるためには何時間も歩いて病院に行く人々・・・。
 少しでも国を良くしたい、と口癖のように言っていたカーンさん。帰国を前に「医療ボランティア
の拠点になる診療所を建てたい」と真剣に相談を持ち掛けてきたという。母国を思うカーンさんの熱い心が川越さんの胸を打った。「カーンが日本で学んだ医療を生かして何万人という人が助かる。その一役が担えたら」
 診療所建設が現実的に動き始めた背景には宮崎西RCの存在があった。カーンさんの妻、ローナック・ファジー・カーンさん(38)が奨学金を受けていた関係で同RCから建設援助の話が持ち上がった。中心になり計画を進めたのが宮崎市の医師、竹内三郎さん(77)。「恵まれない国のために何かしたい」。長年、胸に秘めていた竹内さんの思いとカーンさんの夢が通じ合った。早速、RC内に病院建設の委員会が設立され、現地視察を経て支援が決まった。
 川越さんらのボランティアグループや延岡中央RC、そしてダッカミッドタウンRC。宮崎からバングラデシュへの支援の輪は瞬く間に広がった。
 オープニングセレモニー前夜、カーンさん宅で開かれた本県一行の歓迎会。その場でカーンさんから竹内さんに一つの贈り物が手渡された。大きく引き伸ばされた竹内さんの写真パネル。「あなたたちの寄付を決して忘れない」。そこには英語とベンガル語で一文が刻まれていた。
 「診療所は何かしてあげたい、というみんなの心の表れ」。診療所完成の喜びを竹内さんはこう語った。
 宮崎を第二の古里と呼び親しんだカーンさん。8年間の宮崎生活で県民との交流を一つの財産として持ち帰った。その成果が母国バングラデシュで実を結び始めている。

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宮崎日日新聞(1999.2.9)
厳しい医療事情/薬品なく問診だけ
医と心の懸け橋/バングラデシュの診療所<下>

世界最貧民国の一つに数えられるバングラデシュ。人々の生活ぶりからこの国が抱える問題の大きさがうかがえる。
 ダッカの町では至る所にごみの山ができ、悪臭が鼻をつく。市民は川で用を足し、体を洗い、炊事をする。工場の近辺からは黒や赤の排水が流れ出し異様な色の池をつくる。そして車から出される排ガスは街を覆い、夕方には黒く立ち込めるスモッグが視界をふさぐ。
 このような劣悪な衛生環境が国民の健康に影を落としている。
 平均寿命57才。2500g未満の低体重児出生率は50%。千人当たりの乳児(一歳未満)死亡83人、五歳未満児では112人。1998年のユニセフの統計だ。
 子供たちは下痢、寄生虫、栄養不足で命を落とし、大人たちは心臓病、高血圧症、糖尿病に苦しむ。無医村が多く診療代も高いため、治療さえ受けられず死んでいく人も少なくない。
 一回の診療費は公立病院で約90円、私立病院では高いときは千円にもなる。一ヵ月の収入が平均二万円(五人家族で)の人々にとっては重すぎる負担だ。
 ピロジャリ村の診療所ではカーン・アズハルル・イスラムさん(42)や友人の医師らはボランティア。施設の維持費や薬代のために一回約50円のみをもらう。できるだけ多くの人に医療を受けてほしいという思いからだ。
 1月29日のオープニングセレモニー当日。本格的な診療開始はまだ先にもかかわらず、村人の診療所への期待は大きく多数の患者が訪れた。「ここでは医者に診てもらうだけで恩恵を感じるのだろう」と本県一行の団長で医師の竹内三郎さん(77)は口にする。
 だが診療所にはベッド六床だけ。肝心の薬品や医療機器は届いていない。問診だけしかできない状態だ。現在、医療機器の輸入に高額の関税がかかるため免除を政府に申請。薬品については製薬会社に譲ってもらうよう頼んでいる。
 「100%はできないが、栄養不足の人に点滴を、目の不自由な人にビタミンAを補給するだけでもできれば」カーンさんは真剣に訴える。
 本県とバングラデシュの人々をつないだ「医と心の懸け橋」。県民の支援で完成した診療所を存続していくためにも、今後の交流、援助がもとめられている。

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